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院長のひとり言

10/1 過去と歴史

歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
E,H,カー
何だか分かりません

歴史と言う学問は、ただ、過去の出来事を羅列しただけで、何で必要なのだろう

そんな、問いが、はるか昔の高校生の時に有りました。
中学生の頃までは、熱心にただただ日本史や世界史を無心になって記憶して、100点満点取ってやるぞー
でしたが

なぜ?
歴史を学ばなければいけないのですか?
と、質問すると、歴史は必ず繰り返されるから、先人達の過去の学びの記憶や過ちの記憶を通して我々の生きる道しるべにするために必要な学問らしい
との事でした。

そこで、私は思いました。
自分が存在する以前の出来事は
ただの、過去の出来事じゃないか
それに

そんなに、昔からこの広い世界中で事細かに記憶して記録を忠実に遺してきた人達が本当に居たのだろうか?
ましてや、今、私は院長という立場でスタッフやその各長に対して、伝えている事が沢山ありますが、その伝えている事柄でさえ、そこで聞く人の主観的な感覚に依って感じ方から受け取り方まで、それぞれでしょう。

例えば、世界中の宗教の祖である方々は皆さん素晴らしい事を発想し伝えて下さったと、私は思いますが、
それを聞く、聞き手に一番弟子、二番弟子という羅列が必ず発生し、
そこには、
祖の方のお話しを一番弟子の方が伝える時に
私が聞いた祖のお話しは

が必ず有ります。

必ず、私が聞いたの(私が)が有ります。

これが、色々な確執を生んで、災いが生じているように感じたりします。

必ず、伝える人達の主観が反映するのが、歴史と言う学問のように思えてなりません

高校の歴史の授業の時に熱心でなかった自分に先生が何でお前は真面目に歴史を学ばないんだ、と、言われて

私は私が産まれて来て今まで17年間が私の歴史で有り、それ以前の出来事は私にとってはただの過去の出来事で有りますから、覚える必要が無いと思います。
なんて言ったら他の皆が拍手して、自分でビックリした思い出が有ります。
ただの、勉強したくないだけの
屁理屈だったような気がしますが、いかがなものか
しかし、現代と言うよりも現在進行形の地球を取り巻く環境は世界的な天変地異を生じています

過去のデータでは計り知れない、どんなに進んだコンピューターでさえ、過去のデータベースで計算するだけですから

いったいどうなるのでしょうかねぇ

でも、悲観的に考えるより
今、やるべき事を
一生懸命やって
生きて行く事の方が
しあわせかもしれませんね

過去の出来事にくよくよするより

まだ見ぬ明日を思い悩むより

今を大切にいきましょう感謝

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