院長のひとり言
8/1 一番凄いの、お母さん
昔のお話し
第二次世界対戦で
日本軍はなんと
自分たちの身を呈して
飛行機共々に敵機に
突撃する
特攻隊が有ったそうです
自ら命をもって敵機に
追突し敵機もろとも
撃退する
凄まじい戦いです
でも、
その出兵の時には
誰しもが
(お母さん)
(母ちゃん)
だったそうです
やはり
産みの親
お母さんへの
想いが
死のまぎわで出る
言葉の重さを感じます
実は
私の父も
鹿児島、知覧の
特攻隊でしたが
出兵前に
敗戦と成り
私が産まれる事と
成ったのです
まだ
私が産まれた
昭和30年頃は
田舎でしたから
電灯、電気がやっとでした
有ってもラジオくらい
お婆さんも
お母さんも
朝から
薪割りして
水汲みして
火おこしして
ご飯に味噌汁
おかずをこしらえて
ようやく
朝飯
洗い物は下に流れる
川の水で
洗濯は
たらいに洗濯板
掃除は
先ずは
はたきをかけて
ホコリを落としてから
ホウキをかけて
からの
雑巾がけ
それから
野良仕事して
早めに
昼飯の用意して
ちょっとその前に
朝10時の
おやつの用意
昼飯が終わっても
後片付けして
今度は
3時のおやつの
用意して
片付けして
夕飯の用意しながら
昔の五右衛門風呂の用意
薪割りして
風呂を沸かして
夕飯を片付けて
昔の
暗い電灯の中で
継ぎはぎだらけの
衣服の継ぎはぎと
その他の裁縫
その合間に
私は
寝かしつけられて
その後も
お母さんは
なにやら
夜なべしてた
らしい
私が
物心付く頃は
ほとんど
お婆さんに
遊んでもらっていて
畑や山へも
お婆さんと一緒でした
こうして
振り返ってみると
やっぱり
母ちゃんは
凄かったなぁ
私が
成人して以降
頑固者の親父と
思っていましたが
母ちゃんは
それを
遥かに越える
頑固者でしたが
母ちゃんの
凄さを
実感しています
本来
女性は
か弱いと
言いますが
本当は
産みの母は
強しですね
母ちゃんに
感謝
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