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院長のひとり言

4/1 私のルーツから!!

曾祖父と曾祖母が
出会っていなければ

祖父と祖母が
出会っていなければ


父さんと母さんが

出会っていなければ


今、
ここに
私は…居ない!!

もっと、もっと
昔へ
たどって行けば

自分のルーツは…

どれ程の計算で

私の祖先を

見つける事が
出来るのだろうか?


小学校の高学年あたりで

私は 何故?

一人っ子だろうか?

私の時代は

大抵の友達には

兄弟が 4〜5、6人は
居ましたねぇ

決して

どの家も
裕福な生活ではありませんでしたし

むしろ
貧しく

質素な暮らしでしたが


どこの
家からも

楽しそうな

笑い声が
響きわたっていたり

怒鳴り声が有ったり

泣き声が聞こえたり

でも

どこん家も

幸せそうでした


私は一人っ子なので

兄弟喧嘩の

経験が無くて

思い出もありません


でも
いつも

兄き がいたらなぁ

姉ちゃんがいたらなぁ

弟がいたらなぁ

妹がいたらなぁ…


きっと

兄弟が沢山いたら

飯のおかずで
もめただろうなぁ

俺のが小さい
なんて

他にも

洋服が
いつも お下がりなんだよ!!

そんな
友達がいて

俺は一人っ子だから

いつも
何気に新しい

それって
贅沢らしいけど

俺にしてみれば
淋し


想像してみて

毎日
学校から帰って
友達と遊んでから

家に帰ると

ばあちゃん
父ちゃん
母ちゃん
だけで

兄弟が居ない!!

何故? 何故? 何故?


成長と共に

勉強の忙しさから

忘れられるように
なっていました


でも、
今思うと

昔は

今より
生活は貧しかったし

物だって豊富では無くて


どちらの家庭でも

雨漏りが有ったり

すきま風は
とても寒く

冬の暖房器具だって

練炭の堀こたつ
今は誰も知らない…

脚を火傷する
豆タンのあんか
これも…化石かも!?


一応
ラジオが有って

テレビが

ようやく
それも…白黒テレビ


電話だって

今や
一人に一台だけど

昔は
まだ、

家庭に一台も無かった!!


衣類 下着だって

盆正月か

遠足か

何かの催し物(イベント)の前くらい

今のように

ユニクロ
GU
しまむら
ヨウカドウ アリオ

何て
無いから


使い捨てが沢山

食べ物だって

駄菓子屋があるくらい

惣菜屋何て無いし


ましてや
弁当屋何て無い

家で
おばあちゃんや母ちゃんが作ってくれる

ご飯が一番だった


おやつも
自宅で
田舎では
チョイと砂糖の入った

フナヤキと言う

今で言うとパンケーキみたいな

砂糖が

贅沢だと

黒砂糖が乗っていた!!

東京の下町では
小麦粉も贅沢品だったらしく…(もんじゃ)が支流
だったらしい!?


でも

学校でも

笑顔が沢山有ったなぁ♪

運動会や
遠足での

玉子焼きとバナナが

ご馳走だった

昭和の前半

豊かな生活を目指して

みんなが
目を輝かせ

希望に溢れて

勉強に

仕事に

一生懸命だったような気がする

でも

そこには

挨拶 あいさつ
\(^_^)(^_^)/


沢山有ったと思う


田舎では有った
我が故郷では

皆が 家に

鍵をかけずに

声かけて

味噌が足りなきゃ

隣から

そんな時代には

ありがとう♪



溢れていたように

思います♪


豊かさと引き換えに

我々は

ありがとう♪

のこころ(心)を

置いてきぼりに

してきたように

思います

それが

平成

だったのか

各地で

何故?
何故?
何故?と
言うくらいの

悲惨な
天変地異が

繰り返されてきました


地球が
生き物ならば

宇宙も
生き物

ましてや

日本は
生き物でしょう


ゴミにまみれる
地球

ゴミまみれの
宇宙空間
(人工衛星のゴミ)

ゴミを増やし続ける

私たち

新しい年号が

私たちに

地球 宇宙
日本に

ごめんなさい



ありがとう♪

感謝の溢れる

年号で

有ります事を

願いつつ


感謝して。

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